5月12日、建築家の伊東豊雄氏から現競技場の改修案が発表された。

May 29th, 2014, 12pm

半月ほど前のことだが、すでに旧聞になった感がある。昨日、28日に、新国立競技場の基本設計案が発表されたからだ。コンペ当初のザハ・ハディド案から何度か縮小方向に修正され、その最終案なのだろう。このプランは、12日のシンポジウムでも紹介されていた。

「緊急シンポジウム 新国立競技場のもう一つの可能性 伊東豊雄の国立競技場改修案発表をうけて」というやたら長いタイトルは、その期待の大きさを象徴していたように思う。 会場に予定されていた建築家会館では応募者が捌ききれず、急遽、同じ千駄ヶ谷の津田塾ホールに変更になった。これまで建築家会館で何度か新国立競技場問題のシンポジウムが開催されており、まずそこで大丈夫と主催者は踏んだのだろう。しかし予想以上に反響は大きく、予定されていなかった記者会見も行なわれることになった。写真は会場ロビーで流れていた記者会見のようすである。伊東氏の右にいるのは、文化人類学者の中沢新一氏。このシンポジウムの仕掛け人である。

シンポジウムはタイトルほどの緊急感はなく、終始リラックスしたムードで進んだ。伊東氏の改修案もお世辞にも緊張感があるものとは思えなかった。「コンペに参加した者にしかわからないことがある」という言葉には説得力があったが、もし改修することになったとしても自分は設計しないと言うし、中沢さんから頼まれたから考えたというスタンスを最後まで崩すことはなかった。シンポジウムを締めくくる最後のコメントを求められたときも、ただ一言「何も言うことはありません」と結んだ。

伊東氏の改修案でも競技場の高さは50メートルになる。氏のコンペ案も50メートルだったので、どうやってもそれくらいが限界なのだろう。 高さに関しては、風致地区として15メートル以下とされていた神宮外苑の高さ制限を、競技場周辺の13ヘクタールについて75メートル以下に緩和した経緯がある。一気に60メートルのプラスである。 改修案では、まず現状の8トラックを9トラックに広げてグランドを国際大会仕様にし、スタンドの西側にあたる3分の1ほどを削って観客席を増築して8万人収容を実現する。全面を覆う屋根はつくらない。芝の出し入れなど、コンサートなどへの配慮もしない。それでも増築した観客席の一番上が50メートルに達する。外苑西通り近くまでせり出した50メートルのスタンドの壁を想像するといかにも圧迫感がある。

伊東改修案でも明治公園と日本青年館は取り壊され、そこにサブトラックがつくられる。それらは全て仮設ではなく、恒久利用が前提だという。明治公園は近隣の避難所になっているので、やはり霞ヶ丘アパートを壊して公園なりにして、代替え利用することになるのだろう。国立競技場は残っても、周りは全部壊されていくのだ。 ぼくはこの案を拍手で迎えることがどうしてもできなかった。

このシンポジウムには前述のお二方のほか、建築エコノミストの森山高至氏、建築史家の松隈洋氏がパネラーとして参加していた。 松隈氏は、全て仮設でつくってオリンピック終了後に1958年当時の姿に戻すのが一番いいと言った。1958年は、1964年の東京オリンピックのために増築する前、第3回アジア競技大会の開催にむけて国立競技場が竣工した年である。競技場の東側にはまだ住宅地が残っており、学徒出陣などの歴史的な面影も残し、周囲に配慮して高さもできる限り制限したと伝えられている。 この案に賛成の一票を投じたい。


Shu and Craig said thanks.

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YASUHITO NAGAHARA

Graphic designer, physical and digital. Professor, department of information design at Tama art university.

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